2009年06月20日

核磁気共鳴分光法

被観測原子のラーモア周波数は同位体種と外部静磁場の強さでほぼ決まるが、同一同位体種の原子核でも試料中での各原子の磁気的環境によってわずかに異なり、そこから分子構造などについての情報が得られる。ひとつのNMRスペクトルで観測される周波数範囲は比較的狭く、一種類の同位体原子だけの試料中での状態を反映したものになる。つまりNMRは同位体種に選択的な測定法である。

分光法なので得られるデータは横軸が周波数で縦軸が強度のスペクトルとなる。しかし、ある原子の共鳴周波数は外部静磁場の強さに比例して変わり、その被観測原子固有の性質とはならない。だが、
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

(被観測原子のラーモア周波数 − 基準周波数)/(磁気回転比 × 外部静磁場強度)
で定義される化学シフトは被観測原子固有の値となるので、NMRスペクトルの横軸は化学シフトで表すのが一般的である。共鳴位置に現れるピークのことを単にピーク (peak) またはシグナル、信号 (signal) と呼ぶ。

主に対象となる原子は水素または炭素(通常の 12C ではなく核スピンを有する同位体 13C(カーボン・サーティーン)を測定する)であり、これらについては膨大な資料が存在する。水素原子を対象とするものを 1H NMR(プロトンNMR)、炭素原子を対象とするものを 13C NMR(カーボン・サーティーンNMR)と呼ぶ。他にそれ以外の元素についても核スピンを持ちさえすれば原理的には測定可能であり、現代の有機化学では最も多用される分析手法の一つである。有機化合物の同定や構造決定に極めて有用である。また、単結晶X線回折と並んで構造生物学のための強力な武器である。測定する核種の磁気回転比や天然存在比、電気四極子モーメント等の違いで感度や線幅が異なる。

2009年06月02日

ブルジョワジー

ブルジョワジー(仏:Bourgeoisie)は、市民革命における革命の推進主体となった都市における裕福な商工業者のこと。短くブルジョワ(Bourgeois)ともいうが、これは個人を指す。後に共産主義思想の下で産業資本家を指す言葉に転化し、共産主義者の間では一種の蔑称としても用いられた。

中世のブルジョワジー [編集]
古代から中世にかけての経済的な低迷が終わると中世都市に商工業を生業とするものが集まり始めた。フランス語ではこうした都市の商工業者をさして「ブルジョワジー」と呼んだ。これがブルジョワジーのもともとの意味である。原語はドイツ語のブルク(Burg, 城塞、城)から来る。

近世のブルジョワジー [編集]
近世になると大航海時代の幕開けにより、港湾都市では交易によって富を蓄積する者が現れ始めた。又絶対主義の時代には、中央集権化により特に首都が経済的な中心となり、ここにも富を蓄積するものが現れ始めた。又近世における「重商政策」は彼らの成長を積極的に後押しした。彼らが市民革命前夜における「ブルジョワジー」である。当時の権力主体であった貴族階級、聖職者と都市の労働者、民衆、農民との間に位置付けられる、都市の裕福な商人を指してブルジョワジーというようになった。ブルジョワジーの中には巨万の富を蓄え、貴族入りするものや貴族に準ずる待遇を受けるものも現れ、新たな支配階級を形成しつつあった。

ここでブルジョワジーと呼ばれた人々は、市民革命の主体となり、それまでの貴族や聖職者が主体であった体制を革命によって転覆させた。そのため市民革命をさして「ブルジョワ革命」とも言う。この場合の「市民」とは「ブルジョワジー」のことで現在の「市民」という概念とは異なっている。現在の「市民」という概念に近い言葉としてシトワイェン(Citoyen)があった。
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産業革命以降のブルジョワジー [編集]
市民革命によって政治的な参加権を得たブルジョワジーの中には同時に進行していた産業革命と結びついて「産業資本家」になる者が現れた。これによってブルジョワジーは19世紀中頃から資産階級を指す言葉として転化した。中華人民共和国ではブルジョワジーを「資産階級」としている。彼ら共産主義者から見た場合、打倒するべき対象となり、「ブルジョワジー」、「ブルジョワ」、「ブルジョワ階級」と言う言葉そのものが彼らにとっては蔑称となり、物理的に排除すべき対象となった。

2009年04月30日

渤海 (国)

渤海(ぼっかい)698年 - 926年)は満州から朝鮮半島北部ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国。元来は700年建国説が有力であったが、鳥山喜一の研究により698年建国説が定説化している。高句麗滅亡後にその遺民である大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、中国からは「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。

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『旧唐書』と『新唐書』では渤海のルーツに関する記述が大きく異なり、旧唐書では、渤海靺鞨大祚栄は本来高句麗の別種(渤海靺鞨大祚榮者 本高麗別種也「渤海靺鞨の大祚榮、本は高麗の別種なり」)であり、風俗は高句麗、契丹と同じ(風俗與高麗及契丹同「風俗、高麗契丹と同じうす」)として高句麗から派生した種族として位置付けているが、『新唐書』では、渤海は本来粟末靺鞨であり高句麗に付いていた者で、姓は大氏である(渤海 本粟末靺鞨附高麗者 姓大氏「渤海、それ粟末靺鞨にして高麗に附く者たり。姓は大氏」)とし、高句麗との種族的関係を曖昧にしている。

渤海の名は本来、遼東半島と山東半島の内側にあり黄河が注ぎ込む湾状の海域のことである。初代国王大祚栄が、渤海沿岸で現在の河北省南部にあたる渤海郡の名目上の王(渤海郡王)に封ぜられたことから、本来の渤海からやや離れたこの国の国号となった。

2009年04月14日

王 元(おう げん)

王 元(おう げん、生没年不詳)は、中国の新代から後漢時代末期にかけての武将、政治家。字は『後漢書』隗囂伝本伝によれば恵孟、『後漢書』馬援伝注によれば游翁と2通り伝わる。『後漢書』隗囂伝本伝は司隷左馮翊長陵県の人としているが、同注『東観漢記』は司隷京兆尹杜陵県の人としている。

新末後漢初における群雄の1人として隴右[1]に割拠した隗囂の配下である。隗囂が挙兵して名声を高めると、王元もその配下に加わり、大将軍に任命されている。

建武5年(29年)、隗囂は子の隗恂を人質として光武帝の下に送ったが、王元と王捷は、天下の情勢は依然として不透明とみなし、光武帝に心から服属することを望まなかった。王元は隗囂に、守りを固め、軍を養って事態の推移を見守り、光武帝に変があれば直ちに覇を唱えるべきである、と進言し、隗囂もこれを採用している。

建武6年(30年)、漢の来歙が符節を持って隗囂を訪問し、蜀(成家)の公孫述討伐への参加を要求したが、隗囂は王元の言により、公孫述への傾斜を強めていたため、これに応じず、遂に憤った来歙は隗囂を問い詰め、前に出て刺そうとするが、隗囂は兵を呼び集め、来歙は節杖を地に突いて退出した。王元は隗囂に来歙を斬るよう進言したが、来歙は王遵ら他の隗囂配下から弁護された。結局、隗囂は王元に命じ、隴坻を兵で固め、道を材木で塞いで来歙を追い詰め殺害しようとしたが、来歙は逃げ帰ることが出来た。

これにより、隗囂はついに光武帝に反することになり、耿弇らが率いる漢軍を隴右から駆逐する。さらに王元・行巡は隗囂の命令により三輔へ逆進攻したが、漢軍の馮異・祭遵に撃退された。その後、光武帝と隗囂の最終的な和平交渉も決裂し、隗囂は公孫述陣営に加わって朔寧王に封じられている。

隴西での敗北 [編集]
建武8年(32年)春、来歙が略陽(天水郡)を奇襲して攻め落とすと、王元は隗囂の命により隴坻(隴県)を守ることで他の漢軍の進攻に備え、隗囂は略陽を包囲攻撃したが、数ヶ月経っても陥落せず、光武帝の親征を受けて敗走する。さらに漢に降った王遵の工作により、隗囂軍は次々と切り崩され窮地に陥ったため、王元は蜀の公孫述への使者となって、救援を求めた。これにより、王元は蜀から5千人余りの援軍を借り、行巡・周宗と共に西城(隴西郡)に包囲された隗囂の救援に向かった。漢軍との激戦の末、王元らはついに隗囂を救出し、冀県(天水郡)へ退却することに成功している。また、漢軍も兵糧不足のため撤退し、安定・北地・天水・隴西の各郡は再び隗囂に帰属した。

建武9年(33年)1月、冀県で隗囂が病死したため、王元と周宗はその遺児隗純を後継の朔寧王として擁立した。また、公孫述の将趙匡らの援軍も受けている。しかし翌建武10年(34年)10月、隗純らは来歙に落門聚(天水郡冀県)で敗北し、隗純と周宗は漢に降伏したが、王元は蜀へ逃れて公孫述から将軍に任命された。

蜀での抗戦、降伏 [編集]
建武11年(35年)6月、公孫述の命により、環安と共に河池・下弁(ともに武都郡)で来歙と戦ったが敗北した。しかし、環安が刺客を放って来歙を暗殺している。同年8月、王元は延岑・呂鮪・公孫恢と共に、廣漢(廣漢郡)・資中(犍為郡)で岑彭率いる漢軍を迎え撃つ。しかし岑彭は奇襲作戦で延岑・王元らの後背地である武陽(犍為郡)を占領し、延岑・王元らも正面を受け持った岑彭の副将臧宮に沈水で大敗した。そして王元は、平陽郷(廣漢郡)で漢に降伏する。

漢では、上蔡県令、東平国相を歴任したが、墾田の不実により有罪となり、投獄されて死亡した。

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2009年03月31日

探偵

ここでは特に日本における探偵について記す。

探偵とは、他人の秘密をひそかに調査したり、犯罪を犯した者を突き止めたりする者(実際には日本の探偵が犯罪者を突き止めることはあまりない)、または、その行為である。探偵社や興信所などに属する調査員であることが多く、基本的には、警察が多くの事件を解決するのに対し、探偵は悩みの解決を仕事とし、民事上の不法行為を暴くことなどを生業とするものであり、今後も需要は拡大すると言われている[要出典]。
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関西地方の警察では部内用語として刑事のことを「探偵」と呼ぶことがある。これは、明治時代には「探偵という言葉は刑事を指す」言葉だった名残である。また、一般的な探偵を「私立探偵」と呼ぶこともある。

探偵業務が抱える人権問題として「依頼者の秘密を守る反面、調査対象者の秘密は全く守られない」ことがある。さらに、誘拐事件を起こした犯人グループが被害者の行動を調べ上げるために、探偵業者を使っていたことも明るみに出たことがある[要出典]。問題なのは、それらの探偵業者が大きな罪に問われないことである(執行猶予判決、廃業程度の制裁で済んでいる)。報酬さえ受け取れば、依頼者の目的を深く詮索せず、対象者のプライバシーを侵害する危うさを抱えている。

探偵の業務 [編集]
探偵の業務は、依頼によって、聞込み、尾行、張込み、その他調査を行うことである。推理小説では多くの探偵が殺人事件や凶悪事件の調査を行っているが、現実には素行・浮気調査や人探し調査、企業からの調査依頼が主である。

一部に、探偵の業務は「調査」と「工作」に大別されるとの誤解も見られるが、厳密には、工作活動は、法律上は探偵業務ではない(探偵業法2条)。

日本テレビ視聴率買収事件では、視聴率対象者を調査するため探偵を雇い、ビデオリサーチの自動車をつきとめたため、視聴率対象者が判明して買収が成功し、探偵が番組制作費から探偵料を受け取った。このように、倫理的に問題ある事件でも、「金のためならなんでもやる」風潮があることが問題視されている。

素行調査
不審な行動が無いかなど。
浮気調査
実際の依頼はこれがほとんどである。離婚を有利に進める為などに依頼されるケースが多い。
恩師、旧友、昔の恋人探し
家出人探し
債務者探し
債務を背負ったまま逃げた者の居所を突き止める。
結婚調査
事実関係の確認調査。
裁判の証拠収集
ストーカー対策
信用調査
支払能力、与信などの調査。
過去調査
医療保険の受給が不正でないかの調査
詐病、怪我をした振りをしていないかなど。アメリカでは専門の調査員“アジャスター”もいる。
筆跡鑑定、指紋鑑定、DNA鑑定
退官警察官などが探偵業務と一緒に実施しているケースが多い。
詐欺関係調査
特殊工作
別れさせ工作など

2009年03月16日

平頼盛

平 頼盛(たいら の よりもり)は、平安時代末期の武将。公卿。平忠盛の五男。母は修理大夫・藤原宗兼の女、宗子(池禅尼)。通称は池殿、池大納言。平清盛の異母弟。

長承2年(1133年)に生まれる。母の藤原宗子は待賢門院近臣家の出身だったが、従兄弟には鳥羽法皇第一の寵臣・藤原家成がいたことから美福門院ともつながりがあった。その幅広い人脈により「夫ノ忠盛ヲモモタヘタル者(夫の忠盛をも支えるほどの者)」(『愚管抄』)と呼ばれ、忠盛の妻たちの中で最も重んじられていた。

清盛は忠盛の長子だったが生母はすでに死去していたため、宗子の産んだ次男・家盛が母の後押しで嫡子となる可能性もあった。久安3年(1147年)に清盛が祇園闘乱事件を引き起こして処罰されたことにより、家盛の存在感は急速に高まった。同年12月に常陸介となり、翌久安4年(1148年)正月には従四位下・右馬頭となって清盛に迫る勢いを示すが、久安5年(1149年)病死してしまう。

忠盛の落胆は大きかったが、清盛は対抗馬が消えたことで後継者の地位を確実なものとした。頼盛は家盛の同母弟といっても清盛とは15歳の年齢差があり、清盛を押しのけることは無理だった。それでも頼盛は正室のただ一人の子として優遇されていて、家盛の地位を継承して17歳で常陸介に任じられている。この時点では異母兄の経盛・教盛は受領ではなく、頼盛は一門の中で清盛に次ぐ位置にいた。

保元の乱 [編集]
久安6年(1150年)宗子は崇徳上皇の第一皇子・重仁親王の乳母となり、忠盛は乳父(めのと)になった。重仁は次期皇位の最有力候補であり即位が実現すれば、忠盛は大きな権力を手にできるはずだった。しかし仁平3年(1153年)、忠盛は公卿昇進を目前に病死した。

久寿2年(1155年)、近衛天皇が崩御した。後継天皇は信西の画策により、第一候補だった重仁親王ではなく雅仁親王(後白河天皇)が指名され、政情は大きく変化する。保元元年(1156年)、鳥羽法皇崩御により保元の乱が勃発すると、忠盛・宗子が重仁親王を後見する立場にあったことから平氏一門は難しい立場に立たされた。宗子は「コノ事ハ一定新院ノ御方ハマケナンズ。勝ツベキヤウモナキ次第ナリ」と崇徳方の敗北を予測して、頼盛に「ヒシト兄ノ清盛ニツキテアレ」と協力することを命じた(『愚管抄』)。この決断により平氏は一族の分裂を回避し、今まで築き上げてきた勢力を保持することに成功した。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

保元の乱の後、頼盛は兄・教盛とともに昇殿を果たす。清盛が乱の功績により播磨守になったことで、頼盛は清盛の知行国・安芸国の受領となった。頼盛自身の知行国・常陸国の受領には代わりに兄・経盛が任じられる。教盛は淡路守であり、平氏は兄弟で4つの知行国を確保した。

保元2年(1157年)になると信西は大内裏の再建を行い、頼盛は貞観殿の造営を担当したことで従四位下に叙せられる。翌保元3年(1158年)8月には二回目の常陸介となり、10月には藤原顕長と知行国を交換して三河守となった。この年には清盛の長子・重盛も遠江守となっている。頼盛と重盛は叔父と甥だったが5歳の年齢差で、ほぼ同年代といってよかった。平氏は清盛が棟梁として全体を取りまとめ、頼盛・重盛が屋台骨を支える形となった。

平治の乱 [編集]
それを如実に示したのが、平治元年(1159年)に起こった平治の乱だった。頼盛は27歳、重盛は22歳であり、「平氏ガ方ニハ左衛門佐重盛・三河守頼盛、コノ二人コソ大将軍ノ誠ニタタカイハシタリケルハアリケレ」(『愚管抄』)とあるように、平氏軍の主力を率いて戦場に臨んだ。『平治物語』では重盛の活躍が華々しく記されているが、頼盛も父から譲り受けた名刀「抜丸」で奮戦するなど、合戦で大きな役割を果たしていたことがうかがえる。

乱は平氏の勝利に終わり、頼盛は尾張守となった。翌永暦元年(1160年)2月、頼盛の郎等・平宗清が逃亡中の源頼朝を捕らえた。尾張国は京都と東国を結ぶ交通の要衝に当たるため、頼盛が尾張守に任じられたのは、東国に逃れる源氏の残党を追捕するための措置だったとも考えられる。『平治物語』では、頼朝が家盛に生き写しだったことから宗子が助命に奔走したとするが、実際には頼朝が仕えていた上西門院(待賢門院の娘、後白河の同母姉)や同じ待賢門院近臣家の熱田宮司家(頼朝の母方の親族)の働きかけによるものと推測される[1]。

重盛との格差 [編集]
平治の乱の後、清盛は平氏一門で初めての公卿となる。平氏の勢力は他より抜きん出たものとなったが、乱で共に活躍した頼盛と重盛は、官位において大きく明暗を分けることになる。永暦元年(1160年)に重盛が従四位上・内蔵頭となったのに対して、頼盛の官位はそのまま据え置かれた。応保元年(1161年)に頼盛は正四位下となり位階では上回るが、重盛も応保2年(1162年)に正四位下、長寛元年(1163年)には従三位、長寛2年(1164年)には正三位と瞬く間に引き離し、永万元年(1165年)には28歳で早くも参議となった。

頼盛は33歳で正四位下・修理大夫に過ぎず、一門における地位の低下は明らかであった。頼盛が甥の急速な昇進をどのように見ていたかは知る由もないが、長寛2年(1164年)、清盛が装飾経33巻(『平家納経』)を厳島神社に奉納した際は、重盛・経盛・教盛らとともに書写に携わった。『平家納経』の中の「提婆品」は頼盛の直筆とされる。

2009年03月01日

皇帝ラインハルトの国葬

皇帝ラインハルトの国葬では、帝都フェザーンの仮皇宮上空にブリュンヒルトが追悼を表し降下。ラインハルトの死後、その銅像は自由な建立が許されなかった(ラインハルトが生前に指示)。
アレクサンデル・ジークフリードがローエングラム王朝第2代皇帝に生後まもなくして即位し、ヒルダが摂政皇太后となった。ラインハルトの遺言により、ヒルダの名において6人の上級大将が元帥に昇進し、ウォルフガング・ミッターマイヤーは首席元帥となった。
イゼルローン要塞が帝国に返還され、代わりに惑星ハイネセンを含むバーラト星系に民主共和政体の存続が認められた(バーラト共和政府)。
ヤン・ウェンリーの遺体がハイネセンに帰還、埋葬された模様。
ユリアン・ミンツとカーテローゼ・フォン・クロイツェル(カリン)はハイネセンに移り、夫婦またはそれに準ずる関係になった。また、ユリアンはしばらくの間バーラト共和政府の指導者の一人として責務をこなした。
ユリアン・ミンツやエルネスト・メックリンガーらが、この激動の時代に生きた者として多くの証言・回顧録を、後世の歴史家に提供する事になった。ダスティ・アッテンボローは、回想録『革命戦争の回想』を残したようである。またユリアンは「ヤンの業績を盗んだだけだ」という批判が上がるが、それに対しアッテンボローがユリアンを擁護する発言を残している。
ラインハルトの生前には完成しなかったローエングラム王朝の新皇宮「獅子の泉(ルーヴェンブルン)」が完成し、ミッターマイヤーら建国の功臣で創成期を支えた7人の元帥が、後世「獅子の泉(ルーヴェンブルン)の7元帥」と呼ばれた。
本編終了の2年後、ウルリッヒ・ケスラーがマリーカ・フォン・フォイエルバッハと結婚。後年『ケスラー元帥評伝』という書物が出版された。
レオポルド・シューマッハが、シュトライトの推薦で一時帝国軍准将となるが、その後宇宙海賊との戦闘中に行方不明になった。
レオポルド・シューマッハの証言によると、エルウィン・ヨーゼフ2世の死亡説はランズベルグ伯アルフレッドの創作と偽装による誤報で、ヨーゼフ2世はアルフレッドの元から逃走して行方不明になっており、その没年は不明となっている。
カール・エドワルド・バイエルラインは、後世「ミッターマイヤーの後継者。有能で誠実で清廉な軍人」と評価される人物になった。
旧帝国辺境で長く放置されていたイオン・ファゼカス号が、小惑星帯博物館に保存される事になった。
ヒューベリオンが撃沈されたシヴァ星域でティーポットが回収され、ユリアンは否定するもヤン・ウェンリーの遺品として戦史博物館に展示された。
ベルンハルト・フォン・シュナイダーがウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの遺族の元へ行きその死を伝える。
ドミニク・サン・ピエールは新帝国暦3年6月に帝国憲兵隊に逮捕されている。そしてその2ヶ月後、つまり新帝国暦3年8月に起訴猶予で釈放され、その後消息を絶った。

戦争小説としての側面とその設定
上記概要にもあるように、この作品は未来の宇宙を舞台にした架空の歴史小説という体裁をとっている。様々な登場人物が織り成す、政治や思想を絡めた人間ドラマが主体であるが、一方で異なる勢力による宇宙(銀河系の一部)を舞台にした戦争小説としての側面も持つ。作品中では、銀河帝国と自由惑星同盟(あるいは共和主義勢力)の2大勢力による戦いの数々が描かれており、主人公的存在であるラインハルトとヤンも軍人である。

作品中における戦争描写は基本的に、宇宙空間での数千~数万隻の艦艇同士による、ビームやミサイル兵器等を使用した艦隊決戦が中心である。一度の会戦には概ね数百万人単位の将兵が参加し、司令官である提督は後方からではなく前線の旗艦級戦艦から用兵を指揮する。個人・個艦を主体とする現代的な散兵戦法ではなく、近代以前の陣形を重視した集団戦法が用いられており、いかなる大軍も陣形を崩す、もしくは統率を失わせることで烏合の衆と化し、消滅したも同然になる。また局地的には小型戦闘艇(帝国軍側はワルキューレ、同盟側はスパルタニアン)による近接戦闘や、地上・屋内での人間同士による白兵戦も行なわれる。これはミラーコーティングを施された装甲服には光学兵器の効果が薄く、実体弾系の武器や打撃が有効なためでもある。またゼッフル粒子というアイテムによって火器を用いた戦闘ができない状況を作り、打撃系武器での戦闘がしばしば行われる(本作設定における装甲服は、重火器ミサイル等の武装は行わず、打撃系武器の威力を高めるためのパワーアシストを行っている様子)。かつて人類を滅亡の淵に追い込んだ地球時代の戦争の教訓から、惑星上での熱核兵器の使用はタブーとされている。小説版では総じて宇宙空間という設定にも関わらずに、戦場は平面世界で捉えられており、3次元的な会戦となると本編にはほとんど登場せず、外伝などで追加されているのにとどまる。アニメ版では艦隊布陣や艦隊決戦等で、立体的な布陣・戦闘描写で描かれている(紡錘陣形は文字通り、旗艦を中心とした紡錘状の布陣を行っている)。また、小説版でもイゼルローン回廊を舞台とした戦いでは立体的な戦術・陣形が用いられることが多い。

ワープや核融合等のテクノロジーが設定上の前提となっているが、例えば「ガンダムシリーズ」のモビルスーツのような高機能なロボット兵器や、人工知能を備えたアンドロイド等は登場しない(等身大を越えるパワードスーツが実用化されたものの、その後廃れた事が、作中に記述されている)。また、異星人や超能力、神秘主義的な作用を伴う力も一切介在しない。あくまで宇宙に進出した人間同士の古風で伝統的な戦闘様式による戦いを描いている。

艦隊
作品で『一個艦隊』と呼ばれる存在は、通常は約1万5000隻程度の宇宙艦艇で編成されている[2]。これが戦力の基本となり、原則として中将以上の階級の者が艦隊司令官の任に就く[3]。
一個艦隊は司令官の直属部隊と幾つかの分艦隊で構成されている。分艦隊は原則として約2000~2500隻程度の規模を有し、准将以上が指揮を執る[4]。また分艦隊が数百隻程度の戦闘グループに分けられて、准将が指揮を執る場合もある[5]。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

艦隊決戦が描かれるこの作品では、その軍事拠点となる宇宙要塞が登場する。特にイゼルローン要塞は、地理的に重要拠点であり、ヤン一党の根拠地ともなる事から、作品における主要な舞台の一つである。詳しくは銀河英雄伝説の舞台#要塞を参照。
星系、星域
この作品では、各恒星系、宙域を表す言葉として星系、星域という言葉で表現される。一部例外として回廊という呼び名を使っているものもある。主な星系、星域は、ティアマト星域、アスターテ星域、アムリッツァ星域など

2009年02月10日

永仁の徳政令/嘉元の乱

永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)は、1297年(永仁5年)に鎌倉幕府の9代執権北条貞時が発令した、日本で最初の徳政令とされ、正確な条文は不明だが東寺に伝わる古文書(『東寺百合文書』)によって3か条が知られる。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

内容は以下の通りである。
(1)越訴(裁判で敗訴した者の再審請求)の停止。
(2-a)御家人所領の売買及び質入れの禁止。
(2-b)既に売却・質流れした所領は元の領主が領有せよ。ただし幕府が正式に譲渡・売却を認めた土地や領有後20年を経過した土地は返却せずにそのまま領有を続けよ。
(2-c)非御家人・凡下(武士以外の庶民・農民や商工業者)の買得地は年限に関係なく元の領主が領有せよ。
(3)債権債務の争いに関する訴訟は受理しない。

永仁徳政令以前にも類似した政策は行われており、弘安7年(1284年)3月に幕府は越訴に関する訴訟を不受理とする法令を発令し、翌永仁6年には撤回している。

元寇での戦役や異国警護の負担から没落した無足御家人の借入地や沽却地を無償で取り戻すことが目的と理解されてきたが、現在ではむしろ御家人所領の質入れ、売買の禁止、つまり3ヶ条の(2-a)所領処分権の抑圧が主であり、(2-b)はその前提として失った所領を回復させておくといった二次的な措置であり、それによる幕府の基盤御家人体制の維持に力点があったと理解されている。[1]これは、御家人の所領の分散を阻止するために、惣領による悔返権の強化や他人和与の禁止を進めてきた鎌倉幕府の土地政策の延長上にあると言える。

このうち(1)と(2-a)は翌年に廃止されたが、(2-b)は再確認されており、それに基づく所領の取り戻しはそれ以降にも多く見られる。つまり付随的であったはずのものが一人歩きを始める。また、この法令を楯に所領を取り戻したのは御家人に止まらなかった。東寺に伝わる古文書自体が、東寺領山城国下久世荘(京都市南区)の百姓がこれに基づき売却地を取り戻したことに関する文書である。

貞時の政策は幕府の基盤である御家人体制の崩壊を強制的に堰き止めようとするものであったが、御家人の凋落は、元寇時の負担だけではなく、惣領制=分割相続制による中小御家人の零細化、そして貨幣経済の進展に翻弄された結果であり、そうした大きな流れを止めることは出来なかった。

嘉元の乱
嘉元の乱(かげんのらん)とは鎌倉時代、1305年(嘉元3年)に発生した鎌倉幕府内での騒乱のことである。北条宗方の乱とも呼ばれる。
4月22日、既に執権職を退きながらも実権を握っていた北条貞時の屋敷で火災があり、貞時は従兄弟で執権であった北条師時の屋敷に移る[1]。

その翌日の夕刻、貞時の「仰せ」とする得宗被官、御家人が当時連署であった北条時村の屋敷を襲い殺害、屋敷一帯は炎に包まれた。その12日後、引付衆一番頭人で寄合衆と思われる大仏宗宣らが貞時の従兄弟で得宗家執事、越訴頭人、幕府侍所所司で寄合衆と思われる北条宗方を追討、宗方は佐々木時清と相討ちとなり、二階堂大路薬師堂谷口[2]にあった宗方の屋敷には火をかけられ宗方の多くの郎等が戦死した。

かつては『保暦間記』の記述により、野心を抱いた北条宗方が引き起こしたものとされたが、その解釈は鎌倉時代末期から南北朝時代のもので、同時代の『実躬卿記』の同年5月8日条にも「凡珍事々々」とある通り、北条一門の暗闘の真相は不明である。独裁政治と云われる得宗家内部は決して安定したものではなかったことが覗える。

事件は4月23日に起こり、『保暦間記』では「仰ト号シテ夜討ニシタリケル」。『鎌倉年代記裏書』では「左京権大夫時村朝臣誤りて誅されおわんぬ」とある。孫の北条煕時はかろうじて難を逃れたが、葛西ヶ谷[3]の時村亭一帯は出火により消失。

京にもたらされた情報
これを京に居て、関東(鎌倉幕府)からの早馬で知らせを受けた側の当時の記録を見てゆくと以下のようになる。

早馬がもたらした京の朝廷、及び六波羅探題への第一報はでは「去二十三日午剋、左京権大夫時村朝臣、僕被誅了」(『実躬卿記』の4月27日条)、「関東飛脚到著。是左京大夫時村朝臣、去二十三日被誅事」(大外記中原師茂)と、「時村が誅された」である。執権に次ぐ連署を「誅す」のは北条貞時以外にはあり得ない。

金沢文庫に残る5月16日の京の六波羅探題南方から金沢文庫・称名寺の二代長老明忍房剱阿に送られた「倉栖兼雄書状」によると、北条時村の姉妹を祖母にもつ金澤北条貞顕が探題であった六波羅探題南方では、このあと「京中連々騒動す。御内の若輩、また或いは弓箭を帯び、或いは甲冑を隠し宿直す。侍所に仰せ、当番の外祇候すべからざる由、禁制を加えられ候と雖も、漫に隠居す。恐怖の膓、肝を焼き候き。仍って御内と云い、京中と云い、此の如く嗷々す」という状態だったという。30年前の二月騒動の記憶が蘇ったのだろう[4]。

そのあと5月7日の夜の子の剋(午前0時頃)、関東(鎌倉幕府)から飛脚が到着し、鎌倉の執権北条師時 からの「関東御教書」が届く。その内容は、「駿河守宗方、陰謀の企て有るにより、今日(午刻)誅されおはんぬ、その旨を存ずべし、かつがつこの事につき、在京人ならびに西国地頭御家人等、参向すべからざるのよし、あひ触れらるべし…」(読み下しは細川重男氏による) つまり北条宗方の陰謀であったので宗方が誅されたと。

先の5月16日の「倉栖兼雄書状」の続きには、「…爰に今月七日夜(子の刻)駿州(宗方)御事、御使上洛の間、造意此の如く露顕するの上は、世上自然静謐す。別して天下の為、殊に御内の為、悦ばざりべからず候」と、また5月15日に金澤貞顕が、同じ金沢文庫・称名寺の明忍に送った書状にも、「殊に京兆(北条時村)の事、誤って夭(わざわい)に逢われ候の条、歎かざるべからず候か、然れども造意既に露顕の上は、天下定めて無為に属さしめ候か…」とあり、金澤貞顕の居る六波羅探題南方の、いつ襲われるかという戦々恐々からやっと解放された安堵の様子が覗われる。

ところで、5月4日に宗方が「誅せられ」という、その状況が『実躬卿記』5月8日条にあり、5月4日に、時村殺害は宗方の命令であるという噂に対処するため、貞時が師時亭で評定を行っていたところに宗方が「推入来」したため、北条貞時は佐々木時清を使わせて「暫不可来臨之由(暫く来ないで欲しいと)」 と伝えようとしたが、「打合、共落命」してしまったという。

その間の状況
京の公家や六波羅探題の情報はこれ以上無いので、後世(鎌倉時代後期から南北朝時代)の鎌倉側の記録に戻るが、『鎌倉年代記裏書』によるとこうある。

5月2日:時村討手の先登の者十二人首を刎ねらる。 和田の七郎茂明(預 三浦の介入道…) 茂明逐電しをはんぬ…
5月4日:駿河の守宗方誅せらる。討手陸奥の守宗宣、下野の守貞綱既に攻め寄せんと欲するの処に、宗方は殿中(師時の舘、禅閤貞時同宿)の騒擾を聞き、宿所より参らるるの間、隠岐の入道阿清(佐々木時清)宗方の為に討たれをはんぬ。宗方が被官処々に於いて誅せられをはんぬ。…
つまり、4月23日に「仰ト号シテ」連署北条時村を「夜討」した12人はそれぞれ有力御家人の屋敷などに預けられていたが、10日もたってから「此事僻事(虚偽)なりければ」と斬首された。和田茂明は三浦和田一族の生き残りの末裔、越後の中条茂明(なかじょうしげあき)のことで、三浦氏が預かっていたなら三浦氏が逃がしたと思われる。その後中条茂明はそのままその所領を統治している。罰せられた形跡などない[5]。

似た例は北条時宗が二月騒動で名越時章・教時兄弟を殺したときにもあった。このとき時章追討は誤殺であったと言われ、事件後、得宗被官の追手5名が処刑されている。討たれた家の者も、ともかくは面目を保て、時章の子や孫は家格は下がったとはいえ、幕府に一応の要職を得られ、その波紋を最小限に食い止めることが出来ている。

事態の収拾
仮に、最初に京に届いた早馬の言上を事実とすれば、以下の様に考える事も出来る。

時村の誅殺を命じたのは貞時であり、そのために貞時は前日に北鎌倉明月院・浄智寺近辺の山内亭から側近の北条師時の屋敷に移り、時村の誅殺に成功する。しかし、北条庶流の反発は強く、「仰せ」によって時村を誅殺した実行部隊を「此事僻事(虚偽)なり」と処刑して収めようとした。

貞時の父、北条時宗はそれで反対勢力の力を削ぎ、かつ旨く収めたが、この嘉元の乱では周囲の北条庶流の反発は強く、収まりはしなかった。というのが『実躬卿記』にある「時村殺害は宗方の命令であるという噂に対処するため、貞時が師時亭で評定を…」という下りと見る事も出来る。

これを『鎌倉年代記裏書』にある「討手陸奥の守宗宣、下野の守貞綱既に攻め寄せんと欲するの処に、宗方は殿中(師時の舘、禅閤同宿)の騒擾を聞き、宿所より参らるるの間…」と組合わせると、時村と共に北条庶流を代表していた大仏宗宣らが手勢を率いて宝戒寺近辺の殿中・北条師時の館の貞時に詰め寄り、その騒擾を察知した宗方が、これも手勢を率いて駆けつけようとしたところで大仏宗宣、宇都宮守貞、佐々木時清らに討たる。

貞時はこれ以上の争乱を避ける為に、全ては宗方の陰謀ということにして、京に早馬を走らせ、全て終わったから「在京人ならびに西国地頭御家人等」は鎌倉に来てはならぬと伝言させる。それでも鎌倉には「尚逐日可有合戦之由」と、再び合戦が起こるという風聞が飛び交う緊張した状況が続き、定例の評定は事実上流会となり、京の公家には「関東しづかならず」と書かれる。そして更に翌月の7月22日に、宗方討伐の大将北条宗宣が殺された北条政時の後任として連署に就任してやっと事態は沈静化する。

そう読むかどうかは、後世の『保暦間記』に軸足を置くか、それとも数日遅れで京に伝わった、その範囲でリアルタイムな記録に軸足を置くかによって変わってくる。

諸説
黒田俊雄は1965年の『日本の歴史8 蒙古襲来』[6]で、『保暦間記』に書かれている嘉元の乱のあらすじを紹介して、「しかしこの作戦はまったくまずい…すべて行きづまってくると、権力欲の争いもくだらないやりかたになってくる」と書かれている。

網野善彦は、貞時と越訴頭人となって御家人たちの衆望を集めようとした宗方の対立があったとする。高橋慎一朗は、この事件における時村の立場を、霜月騒動と同様の「得宗政権を支える二者の対立に起因する」もの。「嘉元の乱は霜月騒動の縮小再生産だった」としている。

奥富敬之の『鎌倉北条氏の基礎的研究』でも『鎌倉北条氏の興亡』でも真偽のほどは保留しながらも、事件は『保暦間記』に沿って説明している。

『保暦間記』の記述は安田元久編・『鎌倉将軍執権列伝』(1974年) 五味克夫 「執権北条貞時」 p313 に多分ほぼ全文が出ており、その他の史料でどう書かれているかも紹介されているが、しかし『実躬卿記』は一切出てこない[7]。

その後の貞時
それから3年後の1308年(徳治3)8月の「平政連諫草」には、「天下の珍事国中の大体は併せて成敗にあり、怠慢なかるべし、随ってまた評定の大事はなを御出仕をまつ」「毎月御評定の内五ケ日、御寄合二ケ日奏事六ケ日ばかりは、闕かさず御勤仕あらんの条、強いて窮屈の儀なからんか」[8]と幕政への精励を要請、というか苦言を呈している。その中に「早相止連日酒宴、可被催暇景遊事」と貞時が政治への関心を失い酒に明け暮れていた様を知る事が出来る。


2009年01月24日

コンソール風のスタンド


ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき
サブタイトル 脚本 絵コンテ 演出 作画監督
1 あかい星にて 星山博之 谷田部勝義 谷口守泰
2 彼の名はエイジ 五武冬史 網野哲郎 八幡正
3 その瞳を信じて 平野靖士 川手浩次 加瀬充子 伊藤誠
4 心のこしての脱出 星山博之 網野哲郎 今西隆志 谷口守泰
5 守られても、なお… 五武冬史 谷田部勝義 八幡正
6 とり残されて 平野靖士 川手浩次 加瀬充子 谷口守泰
7 血はあかかった 伊東恒久 網野哲郎 村中博美
8 彼の叫びに応えて 五武冬史 網野哲郎 今西隆志 谷口守泰
9 生きる道を求めて 星山博之 谷田部勝義 桜井美知代
10 エイジ?!と呼んだ 平野靖士 川手浩次 加瀬充子
江上潔 八幡正
11 地球の艦が来た! 伊東恒久 網野哲郎 貴志夫美子
12 さよならの赤い星 五武冬史 滝沢敏文 今西隆志 谷口守泰
13 宇宙にむなしく 星山博之 谷田部勝義 八幡正
14 異星人に囚われて 平野靖士 網野哲郎 村中博美
15 蒼き流星となって 伊東恒久 川手浩次 今西隆志 本橋秀之
佐藤千春
16 月よ! こたえて 星山博之 網野哲郎 江上潔 谷口守泰
17 群がる殺人機 五武冬史 滝沢敏文 加瀬充子 貴志夫美子
18 そして地球へ 平野靖士 網野哲郎 八幡正
19 とどかぬ想い 伊東恒久 谷田部勝義 村中博美
20 レイズナーの怒り 星山博之 川手浩次 今西隆志 谷口守泰
21 我が名はフォロン 五武冬史 加瀬充子 貴志夫美子
22 フォロンとの対決 平野靖士 網野哲郎 江上潔 八幡正
23 奇跡を求めて 伊東恒久 川手浩次 谷田部勝義 中村悟
24 光になったエイジ 網野哲郎 村中博美
25 駆け抜けた宇宙(前半の総集編) 伊東恒久
五武冬史
星山博之
平野靖士 高橋良輔 谷口守泰
村中博美
八幡正
貴志夫美子
26 時は流れた! 星山博之 加瀬充子 谷口守泰
27 華麗なるル・カイン 五武冬史 谷田部勝義 江上潔 八幡正
28 クスコの聖女 星山博之 今西隆志 貴志夫美子
29 再会・謎の招待状 平野靖士 網野哲郎 村中博美
30 ベイブル奪還作戦 伊東恒久 網野哲郎 藤本義孝 谷口守泰
31 仕組まれた聖戦 五武冬史 谷田部勝義 八幡正
32 ああ、ゴステロ 星山博之 加瀬充子 沢田正人
33 死鬼隊の挑戦 伊東恒久 網野哲郎 江上潔 谷口守泰
34 狙われたアンナ 平野靖士 知吹愛弓 今西隆志 貴志夫美子
35 グラドスの刻印 遠藤明吾 川手浩次 藤本義孝 八幡正
36 敵V-MAX発動 星山博之 網野哲郎 加瀬充子 村中博美
37 エイジ対ル・カイン 平野靖士 谷田部勝義 谷口守泰
38 歪む宇宙 高橋良輔 江上潔

OVA
ACT-I 「エイジ1996」 TV1~24話の総集編
ACT-II 「ル・カイン1999」 TV25~38話の総集編
ACT-III 「刻印2000」 TVで放映されなかった真の結末の映像化。1986年10月21日発売。
2001年にはVAPよりDVDBOXとして9月にBOX-1(6枚組)、12月にBOX-2(5枚組)がそれぞれ発売。

打ち切りについて
放映当時から本作の人気は非常に高く、社会現象にもなった怪物番組『夕やけニャンニャン』を裏番組に持ちながらも、10%前後という高い平均視聴率を記録していた。しかし、1985年末から1986年初頭にかけて発覚したサンヨー石油ファンヒーター一酸化炭素中毒事故により、2クールをもって三洋電機がスポンサーを降板[8]。さらにタイアップのプラモデルの売れ行きが不振(後述)であったことも重なり、メインスポンサーであったバンダイの意向で、本作は38話で急遽打ち切りとなった。「元々2クールで完了の予定を4クールに延長したが、最終的には3クールまでの延長となった。なので打ち切りではない」というのが公式の説明であるが、元々4クールの予定であったものが3クールに短縮されたとも言われており、現在ではその説が最も有力視されている。

放送上の最終回である38話は、打ち切られたストーリー全体の総集編とも言える内容で制作された。そのため直前の37話と話の内容が全く繋がらず(37話でザカールによって大破させられたはずのレイズナーが、何事もなかったかの様に修復されザカールと互角の戦闘を繰り広げた、など)、視聴者に多大な混乱を招いた。これは打ち切り決定の通知が、ストーリー構成の修正が不可能な時期に入ってから唐突に制作スタッフに伝えられたためとされており、スタッフのみならずファンへの配慮を明らかに欠いた行為であると、スポンサーであるバンダイへの批判が集中した。キー局だった日本テレビの親会社である読売新聞の当時の読者欄にも、同様の意見を記した読者からの投書が掲載されている。

放映終了後、カットされた部分のストーリーが見たいという視聴者の要望が高まり、東芝映像ソフトからOVAが全3巻発売され、テレビシリーズでは描かれなかった部分が第3巻で映像化されている(後に、バップからLD、DVDが発売された)。高橋良輔監督、植田益朗プロデューサーは、打ち切り直後にラジオ番組「スターチャイルド」にゲスト出演し、「重労働が終わって楽にはなったけど、マラソンと同じで完走したかったですね」と無念を語っていた。

また高橋監督は、放映終了後のインタビューで、本来予定していた最終回までの展開(放送での最終回以降の展開)の構想を語っている。その内容は、刻印発動後の地球におけるグラドス人差別を憂慮したエイジが、レイズナーMk.IIを駆ってグラドス本星に戻り、グラドス人と地球人のルーツが同じであるという確かな証拠を求めて奔走、同時にその証拠をもってグラドス本星政府の支配体制から市民を解放するというものだった。このストーリーは、本作のLD-BOXが発売された際、高橋監督監修の下で竹田裕一郎が『蒼き流星の行方』というタイトルで小説に書きおろしている。

ゲーム

コンピューターゲーム
スーパーロボット大戦シリーズ
新スーパーロボット大戦
スーパーロボット大戦64
スーパーロボット大戦リンクバトラー
スーパーロボット大戦GC
スーパーロボット大戦J
スーパーロボット大戦XO
サンライズ英雄譚シリーズ
サンライズ英雄譚
サンライズ英雄譚R
サンライズ英雄譚2
S.W.W.(サンライズ・ワールド・ウォー)
Another Century's Episodeシリーズ
Another Century's Episode
Another Century's Episode2
『サンライズ英雄譚』及び『A.C.E』シリーズでは、ル・カイン役の塩沢兼人が亡くなっているため、加瀬康之が代役を務めている(スーパーロボット大戦シリーズにおいては、現在でも生前に収録した声を使い回している)。

また、2005年11月ごろ、秋葉原のゲームショップにて、レイズナーのゲーム画面のようなCGアニメが流され、「レイズナーのゲームが出たら買いますか?」等のアンケートをバンダイが取っていた事から、レイズナーのゲーム化が企画されていたようである。

ボードゲーム
ボードウォー・シミュレーションゲーム(ツクダホビー製)

『SPT』 ---戦闘級
『V-MAX』 --- 戦闘級

トレーディングカードゲーム
『サンライズクルセイド』(バンダイ)

プラモデルなどの立体物
放映当時、バンダイから1/72、1/100スケールで発売された。接着剤を用いない「スナップフィット」採用、透明パーツが多用など、バンダイの技術の蓄積もあったが、腕や脚に大きな肉抜きの穴が開いたままであることなど粗悪な印象であった。そして、主役機レイズナーの劇中のイメージとは異なる印象を受けたユーザーが少なからずおり、設定派、作画派どちらの支持も得られない結果となった(デザイナーの大河原は、SPTの頭部を飛行機のキャノピーに見立て、設定画では意図的に他のロボットアニメに比べ頭部を大きく描いたが、頭でっかちの印象が強く、実際の作画には反映されなかった)。

また1/72キットでは、武器のレーザードライフルがダイキャスト製で重量感はあったものの、持たせるとポーズを保持できず安定しないという指摘もあった。1/100キットでは価格設定故か、廉価版の印象を強くした。ストーリーや作画の完成度の高さから、本編はハイティーン層を中心に熱烈な支持を集めたが、肝心のプラモデルの出来が意外にも粗悪なものであったために、商品の売上は芳しくなかった。(もっともバンダイによるとレイズナーのプラモは低年齢層向けとしており[9]、ハイティーン層はターゲットになかったようである)。また丁度この時期、ファミコンの大ヒットによって男児の購買趣向がプラモデル、キャラクター商品から家庭用ゲームに移行しており、関連商品の売上が不振だった理由は、それら2つの要因の複合によるものであったと分析されている。

2006年になってバンダイから「リアルロボットレボリューション」(通称 R3)のシリーズ第1弾として1/48スケールの新作キットが発売された。BEE-CRAFTによって現代風にアップデートされたプロポーションにギミックと可動範囲が増え、V-MAX発動後のハッチオープン(強制冷却)モードの再現が可能となっているなど、ガンプラで培った同社の最新技術が注ぎ込まれているところもあるが、ロール出来ない股関節、接地性の低い足首とガンプラと比べると可動範囲は見劣りするものであった。特に肩関節はボールジョイント等が採用されていないため、レイズナーの印象的なポーズである両手でレーザードライフルを構えることが難しくなっている。プロポーションも中途半端に頭の大きいアレンジにされたため、設定画版とも劇中作画版ともつかないものとなってしまった。

同年2006年からはメガハウスからパームアクションシリーズが発売開始、その第1弾にレイズナーとザカールがラインナップされた。全長が90ミリほどの小さなモデルであるが、各関節可動、バックパックの交換が可能、キャノピーの開閉などのギミックを備えている。しかし塗装の不良や可動範囲の狭さなど不満を漏らしている購入者が多かった(この事があったため、レイズナーのみフライトユニット装備型として再発売する際に改良され、造形面や可動ギミックなどの不安をある程度なくしている)その後も死鬼隊のMFやグライムカイザルなどが発売され、順調にラインナップを増やしている。

それから数ヵ月後の2007年2月下旬にバンダイから魂SPECシリーズでレイズナーが発売された。このモデルはノーマルのレイズナーとニューレイズナーを装甲の換装で再現している。元々同機体ではないとはいえ、新旧2種類のレイズナーが再現できるギミックが話題となった。また、レイズナーのコンピュータである「レイ」の新たに収録された音声や効果音などが再現されたコンソール風のスタンドが付属し、劇中の雰囲気を味わえるようになっている。

^ 一部系列局は遅れネット、または未放送だった。
^ ただし背が小さく小柄に見えるのは猿のように常にしゃがんでいるかもしくは中腰になって行動しておりかつ極端な猫背である事によるところが大きく実際のところ彼を「チビ」呼ばわりしたゲティとの直立時の身長差は4cmしかない。
^ 名称確定前は「グレイダス」という名前でメディアに発表された。
^ 作中では「ニューレイズナー」とも呼称
^ 設定では「ブロークン・ネイル」 。
^ ダルジャンの設定の準備稿ではニードルショットは左右にあるが、決定稿では左のみになっている。しかし、劇中では左右に装備・使用されている作画も多く、28話「クスコの聖女」でもレイが『両腕にニードルショット装備』と言っている 。
^ F-117の公式発表は1988年で、それ以前は存在自体が秘密になっていた。またMiG-29の存在は1986年のフィンランド親善訪問によって、初めて西側に知られる事になった。現在主流となっているようなステルス戦闘機のデザインがアニメに反映されるのは、1994年のマクロスプラスを待たねばならない。
^ 遅れネット局の場合は、バンダイ・三洋電機のスポンサードネットではなく、番組販売扱いでスポットCMのみ、または地元企業等のローカルスポンサーを付けての放送だった地域もある。
^ トイズマガジン1985年10月号

2009年01月17日

陸と海の間に存在

陸と海の間に存在し、輪廻する魂の休息と修錬の場とされる異世界バイストン・ウェル。人の生体エネルギーとも言える「オーラ力」で形成される世界である。小さな妖精の姿をしたミ・フェラリオと成体のエ・フェラリオ、中世ヨーロッパ的な封建制国家群を形成するコモン(人間)、蛮族ガロウ・ラン等がそれぞれの勢力圏で、互いに影響し合いながら暮らしている。通常は生死以外に地上世界との往来は不可能だが、エ・フェラリオの力や大事故等のアクシデントによって偶然開かれるオーラロードを通ることにより、稀にそれは発生する。

ある日、アの国の地方領主ドレイク・ルフトの元に、地上人(ちじょうびと。いわゆる「現実世界」の人)の天才科学者ショット・ウェポンが現れる。ロボット工学に明るいショットは、バイストン・ウェルに固有のオーラ力に着目し、それをエネルギー源に駆動するオーラマシンを開発。「機械」をバイストン・ウェルに初めてもたらした。当初は馬に代わる移動手段程度のものだったが、徐々に軍事へと利用を拡大。やがて、彼の地に棲息する巨獣の甲殻を外装に纏い、内蔵された人工筋肉を電子制御によって駆動する、人型兵器オーラバトラーが開発された。ドレイクはオーラマシンの圧倒的な力を知り、バイストン・ウェル全土を制覇するという野望を抱いた。彼はまず、捕獲したエ・フェラリオのシルキー・マウにオーラロードを開かせ、地上人トッド・ギネス、トカマク・ロブスキー、ショウ・ザマの3人を召喚し、彼らを3体の新型オーラバトラー・ダンバインのパイロットである「聖戦士」として配下に置く。ショウは突然の異世界に戸惑いながら、言われるままに当面の対抗勢力であるギブン家との戦闘を重ねていたが、ドレイクの娘リムル・ルフトやギブン家の地上人マーベル・フローズンの説得によって、ドレイクの真意を悟りダンバインとともに出奔、オーラシップ・ゼラーナを指揮するギブン家の長男、ニー・ギブンの下に身を寄せる。

ドレイクは技術向上・マシン量産のためにオーラバトラーやその技術を他国に輸出した。結果としてドレイクは莫大な軍資金を得たが、アの国以外もオーラマシンとその技術を手に入れることとなる。各国による巨大オーラ・バトルシップの建造も重なって、戦乱はより大規模なものと化した。

フェラリオの長であるジャコバ・アオンは、目に余るコモンの蛮行に業を煮やし、その意志と力により全オーラマシンをバイストン・ウェルから追放。戦いの舞台は地上界へと移る。あわよくば地上をも我が物にせんとするドレイク率いるアの国・クの国連合軍、その野望を阻止せんとするシーラ・ラパーナとエレ・ハンムの下に集うナの国・ラウの国連合軍の戦いは、地上の国家をも巻き込んだ全面戦争へと向かっていった。

バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング

用語
聖戦士
強いオーラ力(ちから)を持ち、オーラマシンの操縦適性がある人物のことである。作中では主に、バイストン・ウェルに召喚された地上人たちがそう呼ばれる。ただし、オーラ力が強いからこそオーラロードを通ってバイストン・ウェルに召喚されるのであり、地上人を召喚するのはパイロット適性を持つ者を手っ取り早く選抜する手段に過ぎない。ゆえに召喚された地上人並みにオーラ力の強いコモン(バーン・バニングス、ミュージィ・ポーなど)も存在する。
物語序盤でドレイク・ルフトが地上人をバイストン・ウェルに次々と召喚したのは、ダンバインのようにより強いオーラ力を必要とするオーラバトラーのパイロットを揃えるためであった。しかし、物語後半に操縦者のオーラ力を直接増幅するオーラコンバーターが開発され、一般のコモンもオーラバトラーを扱うことが可能となった。以後は戦闘適性のあるコモンが聖戦士として台頭し、舞台が地上世界に移った後も地上人は起用されなくなった。
なおバイストン・ウェルにおいては一種のテレパシーにより違う言語で会話しても意味が通じるため、地上人がバイストン・ウェルの住人や他国出身の地上人と会話するのに不自由はなく、後にオーラマシンと共に人々が地上界に追放された際も(ショウ達バイストン・ウェルで生活した地上人も含めて)その能力は維持されていた[4]。
オーラ力(ちから)
人間の持つ生体エネルギーであり、オーラマシンの動力源である。
オーラマシンの発揮する力は、パイロットのオーラ力に大きく左右される。これはオーラマシンが、パイロットのオーラ力に依存しているためである。よって基本性能が劣る機体でも、強いオーラ力を持つ聖戦士が操縦すれば高い戦闘力を発揮し、逆に高性能であってもパイロットのオーラ力が弱ければ本来の性能を発揮しない。
また地上界ではオーラマシンの性能や兵器の破壊力が格段に向上し、バイストン・ウェルにおいてはオーラ力の作用や反応が抑制される。なおショウ達バイストン・ウェルで過ごした地上人が地上界に追放された際は、肉親のオーラ力に引かれてその付近に出現している。
ハイパー化
オーラ力の暴走によって発生する特殊な現象である。憎悪などの負の感情により、オーラマシンを覆っているバリアーが実体化して膨れ上がり、巨大化したオーラマシン像を形成する。ハイパー化したオーラマシンは巨大化した機体そのままに行動し、また攻撃力も比例して増大する。しかし暴走したオーラ力の負荷に機体が耐え切れず、いずれ自壊に至る極めて危険な諸刃の剣である(ただし自壊現象にまで至ったのは最初のハイパー化例であるジェリルのレプラカーンのみで、その他の事例では自壊に至る以前に戦闘に決着がついている)。
初めてハイパー化が観測されたのは、ジェリル・クチビ搭乗のレプラカーンである。
その後、トッド・ギネスのライネック、黒騎士(バーン)のガラバもハイパー化を果たしたが、黒騎士の場合はエレ・ハンムにより封じられる形で元に戻っている。
ショウ・ザマのビルバインもハイパー化の危機に陥ったが、チャム・ファウの知らせでそれを察知したマーベル、エレの助力により抑え込まれてぎりぎりのところで制御され、暴走するには至らなかった(このときの増大したオーラ力はトッド・ギネスのハイパーライネックを倒す決定打となっている)。
また、後の富野監督作品『ブレンパワード』や『リーンの翼』でもハイパー化とよく似た現象(もしくは同一の現象)が見られる。